2020年
すっかりブログの事を忘れてました。
2020年の記録として。
2020年は不思議な一年だった。
新型のコロナウイルスが世界的に流行りだして沢山の人が亡くなった。
そして、私の大親友のスモモも12/1に逝ってしまった🌈
10月の末くらいに心臓の病気がわかってから約一ヶ月。スモモはもうすぐ18歳だったし、なかなかの高齢だったから自然なことだったと思う。
今までよく私の事を支えてくれた。
今までも何回か、もうダメかもって思うことがあったし。あと何年一緒に居られるんだろうと思うと、逆に不安になったりしたから。
寂しいけれど、不安はなくなった。
最後は、家で過ごした。
もう、自由に動けないくらい身体はいう事を聞かなくなっていてグッタリしてた。
朝、レンタルしてた酸素室を掃除して。
ついでに布団の上でくっ付いて。そしたら、急に動き出して畳の上でオシッコした。
動くのが大変でも、垂れ流しは嫌だったんだねスモモの気丈さを感じた。
スモモを酸素室に戻して、しばらくしたら少し苦しそうにして体勢がおかしい。
体勢を変える力も残ってない、楽になるように寝かせてあげてレイキを送ってた。
そしたら、少し苦しそうにして動かなくなった。
壁を向いて横になってたし、息をしてる気がするし、しばらく死んだかどーかわからなかった。でも、眼を見たら光がなかった。
私が初めて死に立ち合った時だった。
ウサギのはなちゃんが死んだ時も一緒にいたけど、全く気付かなかったし。子供だからよくわからなかった。遊びに連れてたらグッタリしてしまって、はなちゃんには申し訳ない事をしたと思ってる。
死ぬって自然なこと過ぎて、気づかないのかも。
いきなり年末の話になってしまったけど、2020年はコロナの流行で国からのお金が沢山入った。働かなくてもお金が入る年だったと思う。
仕事が出来なくて困っている人達への救済として、給付金や助成金が沢山あった。
緊急事態で首都圏は、ゆるい外出禁止状態に。
4月から7月くらいまでは、Skypeとかzoomでテレビ電話しながら、誕生日をお祝いした。
そして、オンラインセッションが普及しはじめた。海外のセッションも気軽に受けられる。
前からあったと思うけど、敷居が低くなった。
私は、7月から長谷川町子美術館で警備員として働いてる。ココで仕事に対する向き合い方が少し変わった。
同じ警備員の島袋さんのおかげだ。感謝します。
大晦日は、5年くらいしらかめの年越し蕎麦のバイトをしている。
そして、年越しをたまちゃの家でさきちゃんと3人でしたけど。楽しくなくてビックリした。
私の誕生日あたりから、うすうす気づいていたけど。価値観の違いをとても感じてしまった。
紅白を観て、歌手の容姿を批判してる2人をみて派遣で働いてた頃の昼休憩を思い出した。
女子5人くらいでお昼を食べてたけど、皆んなでテレビを観ながらテレビの出演者なんかをディスってた人達に全然共感できなくて無言で食べてた。
だから、大晦日も私はあまり喋らなかった。
大好きな友達といて、話すことが無いってツラいよね。
好きだけど、共感できなくて話すことがない。そんな年越しでした。不思議だった。
まとめ、2020年は初体験を沢山した年だった。
地球は急速に変化していて、私も漏れなく変化の途中です。
2021年は、自由を探究する年にしようと思ってる。
私は、調和が好き。いろんな人が居るけれど、お互いを尊重できる。お互いの足りない部分を補い合って調和する。グラデーション。混ざり合ってキレイな色をつくる。